過去に掲載した、コーヒーの”豆”知識④にて、ティピカ種がどのように広まったかのお話をしました。
コーヒーには様々な品種があり、ロブスタなどが有名なカネフォラ種と、上記のティピカなどのもととなったアラビカ種があります。
本日はティピカと同じアラビカ種に属する「ブルボン」についてご紹介いたします。
コーヒーが世界で初めて商業栽培されたイエメンが、コーヒーを250年もの間独占していました。
しかし1658年にオランダ東インド会社はモカ港からコーヒーの苗木の持ち出しに成功し、後のティピカ種となりました。
そこからしばらくして、1715年に今度はフランス東インド会社がモカから苗木の持ち出しに成功します。
この苗はインド洋のブルボン島(現在のレユニオン島)に移植されます。
このティピカ種が、ブルボン島の環境のせいか、突然変異を起こし、今の「ブルボン種」になったと言われています。
ブルボン種の栽培が盛んに行われていましたが、フランスからブルボン島までが遠かったため、近場のハイチなどの勢力に負けていきます。
1770年頃にこの「ブルボン種」がブルボン島からブラジルへ伝わったと言われています。
これが現在もブラジルのコーヒー主要品種としてブルボンが作られ続ける始まりとなりました。
ブラジルに渡ったブルボンが本格的に栽培されたのは1870年代で、時にサンパウロ州のファゼンダ農園に作付けされたのもが生産増大に貢献したと言われています。
しかし、実はブラジルにはブルボンよりも先にティピカ種が伝わっていたんです。
ブルボンがブラジルに来たのは1770年頃、そこから40年ほど前にフランス領ギアナから1727年にティピカが持ち込まれました。
少しだけコーヒーの闇の歴史について触れますが、このブラジルに伝わったコーヒーは当時の奴隷制度と密接に関係していました。
1700年代はまだまだコーヒーが世間に浸透しておらず、生産量も微々たるものでした。
1800年代に入るとヨーロッパの中流階級にまでコーヒーを飲む習慣が浸透し、加えてアメリカでの需要も増大しコーヒーの価格が高騰しました。
需要が増えると、なるべく安く大量に供給したいと考えるのが普通ですよね。
そこでコーヒー栽培に適した気候であったブラジルで、奴隷制度によりたくさんの人たちがコーヒー栽培に利用されます。
もちろん正当な賃金がもらえるはずもなく、不当にたくさんの人たちがコーヒー栽培に従事させられていました。
その生産量の勢いはすさまじく、1830年頃にはリオデジャネイロを中心に爆発的にコーヒー生産が拡大し、ブラジルは世界最大のコーヒー生産国にのし上がりました。
1888年に奴隷制度は撤廃されましたが、現在でもブラジルは世界最大のコーヒー生産国として不動の地位を築きました。
ブラジルのサントス港より出荷される「ブルボンサントス」は、口当たりがまろやかでどなたでも美味しいと感じていただける品種です。
(当店入荷はまだありませんが、、、)
他にもブルボンから派生した「カトゥアイ」や「パカマラ」なども、このブルボンの歴史がバックグラウンドにあります。
いかがだったでしょうか。
カツーラとは別の道を歩んだブルボンの歴史も面白いですよね。
最後までお読みいただきありがとうございました。