イスラム圏に広まったコーヒーは、ヨーロッパへ広まっていきました。
ヨーロッパの著書で初めてコーヒーが登場したのは1582年レオンハルト・ラウヴォルフによる紹介でした。
15世紀半ばごろからイエメンにてコーヒーの商業用の栽培が本格的に始まり、約250年もの間コーヒーの栽培を独占します。
1616年にイエメンのモカ港にオランダ東インド会社の商船がやってきて、コーヒーのモカ港からの輸出が始まります。
オランダのアムステルダムに輸出され、その後オランダは定期的にモカからコーヒーを輸入することとなりました。
これだけ人々を魅了するコーヒーですが、イエメンを支配していたトルコは国外に流出することを恐れていました。
そして頻繁に輸入するオランダはなんとかコーヒーの苗木を手に入れようとしていました。
しかしオランダが苗木の持ち出しに成功し、スリランカでコーヒーの栽培をスタートします。
スリランカの対岸であるインドのマイソールにもコーヒー栽培は広がり、その後ジャワ島で見事にコーヒーの商業的栽培が成功します。
ジャワ島からアムステルダム植物園に1本のコーヒーの苗木が送られます。(これがティピカの祖先と言われています)
そしてこのコーヒーノキは当時のフランス国王のルイ14世に献上され、パリ植物園に植樹されることになります。
1723年にフランスの海軍士官ガブリエル・ド・クリューが苗木を譲り受け、苦難の末に西インド諸島のフランス領マルチニーク島へ移植します。
これは大西洋を横断する非常に過酷な道のりでしたが、ブラジルをはじめコスタリカ、ジャマイカ、キューバ、ベネズエラなどの中南米へコーヒーが伝わる入り口となった、コーヒー史の中でも非常に大きな出来事になりました。
ガブリエル・ド・クリューによりコーヒーは中南米へ伝わり、18世紀半ばにはジャワ島を抜いてハイチが世界最大のコーヒー産地へと成長しました。
いかがだったでしょうか。
現在でもジャマイカなどで栽培されている「ティピカ種」はこのように伝来していきました。
オランダ東インド会社はコーヒーを独占していたイエメンから苗を密輸したと考えられますが、
スリランカだけではなく、インド洋のレユニオン島へも移植していました。
ちょうどマダガスカル島から見てもまだ沖側に位置する小さな島です。
これが後の「ブルボン種」の始まりとなります。
続きはまたの機会に!