以前お話していましたコーヒーの歴史について、少し続きをご紹介できればと思います。
コーヒー発祥の地エチオピアから世界中にコーヒーが広まっていきました。
その中で、ヨーロッパにも革新的な飲料物として認知されてきました。
ヨーロッパでは「タヴァーン」や「エール・ハウス」と言った、ワインやビールなどのアルコール飲料を飲みながら人々がお店に集う習慣がありました。
今で言う居酒屋のようなものになります。
これがコーヒーが伝来するまで、中世以降にかけて一般的でした。
人々がアルコールを飲みながら時を共有する、それは酔っぱらって楽しい気持ちになる「酩酊」の場でした。
しかし人々が集う「酩酊」の場所と対比するように、コーヒーは「覚醒」の場を持ち込みました。
17世紀から始まるヨーロッパの資本主義経済の進展により、人々はより効率的な労働を要求されるようになりました。
効率よく仕事としようという価値観とコーヒーはぴったりマッチし、多くの人に飲まれることになります。
飲料物で酩酊する文化だった当時のヨーロッパにはとても大きな変化でした。
そしてヨーロッパ各地にコーヒーが普及するとともに、伝統的なアルコールを提供する場がコーヒー文化に置き換わり、カフェの形態をとるお店がヨーロッパ社会へ浸透していきました。
近代市民社会たいち早く形成されたのはイギリスで、カフェは「コーヒーハウス」と呼ばれ、1652年アルメニア人パスクァ・ロゼがロンドンに初のコーヒーハウスを開業します。
それが評判となり、続々とカフェが誕生していきました。
約30年後の1683年には、ロンドン市内のコーヒーハウスは3000軒を超えたと言われています。
コーヒーハウスは近代市民社会の発展に大きな役割を果たしました。
当時、コーヒーハウスは「ペニー・ユニバーシティ」と呼ばれていました。
ペニーは当時の通貨単位で、コーヒーハウスは1ペニー支払えば誰でも参加できる市民コミュニティの場となっており、資本主義の実験場としての役割を担っていました。
その役割を持つ代表的なコーヒーハウスは、
①商品取引 「トムズ」
②先物相場 「ベイトスンズ」
③株式相場 「ジョナサンズ」
④保険 「ロイズ」
⑤海運 「ジェルサレム」
⑥新聞、詩、小説 「ウィルズ」「バトンズ」「スクワイヤーズ」
⑦出版 「ロンドン」
⑧賭博 「リトル・マンズ」
⑨絵画、彫刻 「スローターズ」
⑩政治 「ココア・トゥリー」「セント・ジェイムズ」
などがありました。
つまり、当時の人々の主要なやりとりの中核的な場所としてコーヒーハウスが用いられるようになりました。
しかしコーヒーハウスは18世紀後半には徐々に衰退していきます。
コーヒーハウスの常連たちはより親密な環境を求めてクラブを作り、一方で女性客にも開かれたアトラクション付ティーガーデンに客を奪われていきます。
同じころ、イギリスは様々な植民地を有しており特にアジア圏からの紅茶の輸入が盛んになりました。
そしてコーヒーよりも手ごろな価格で紅茶が飲めるようになり、社交の場として紅茶が一般的に飲まれるようになりました。
結果、19世紀に入るとイギリスは紅茶の国に方向を変え、人々の交流の場はクラブとパブに移ってしまいました。
今や紅茶の国としての印象が強いイギリスですが、かつてヨーロッパを先遣したコーヒーが普及している時代がありました。
また次回は中南米やアフリカにコーヒーがどのように広まったかお話しできればと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。